「大人の為のやり直し英語講座」で或るとき、受講生さんが:
1) I have a headache. を、「私は頭痛です」と訳しました。
私 = 頭痛、とはなりませんので、日本語訳としては「頭痛がします」辺りに落ち着くのでしょうが、これも「私は頭痛を持っています」更には、I have a headache と a が付いておりますので、「私は或る種の頭痛を持っています」と一度訳した後、理解したところで「頭痛がします」と指導すべきところでしょう。初学者には、ここいら辺りを徹底すべきものと考えます。「私は頭痛です = I am a headache.」 如き誤解は、初学者には普通に起こり得るからです。この間違いを論理的に説明する必要があります。しかし、この間違いを論理的に説明できる人がどのくらいいるのでしょうか。英語にかかわる諸問題の根源は其処いら辺りに止めを刺すように思われます。若しそんなことを云ったなら、蒼い顔で 「とにかくそうじゃないんですよ、英語は」 とか云われたように思いませんか。「私は頭痛です」はかなりおかしな表現です。何故こんなことになってしまったかと云えば、普通に考えれば、「過去そのように教わったから」と云うところが、一番可能性の高いところでしょう。
何しろ、生徒さんは立派な社会人、普段の日本語は立派です。ところが英語となると途端に日本語が破綻し始めます。何にでも原因が御座います。フロイトは確か原因を患者さんと共に特定することによって精神疾患を改善しようと致しました。イド・エゴ・スーパーエゴ等による説明は、多分そうであろうと確信させる程に迫力があり、理論の解明は出来ないものの、広く理解されているようです。
この生徒さんの潜在意識には、英語は日本語と違うもの、なんでもあり!!、みたいなものが頑固にに存在し続け、度々、それが表層に現れてくるように思われます。大まかに言って、英語はSVO言語にして語順言語、日本語はSOV言語にして膠着言語と、言語構造が全く異なりますが、言語を構成する論理自体には何ら変わりは御座いません。しかし、論理を構築する文章構造が全く異なるのです。
因みに、「私は頭痛です」は日本語としてもおかしいですが、「君は私の頭痛の種です」なら可能でしょう。英語の、You are my headache. も可能です。更に、「私は頭痛です」に近いものに:
2)My head is aching.
②「頭が痛む」が御座います。
ここで:
1) I have a headache.
S V O
①「頭痛がします」と、
2) My head is aching.
S V C
②「頭が痛む」(この C に御興味のある方は「ビジネス英語の真髄」をご覧ください)
の1)2)の英文の和訳を其々:
①「頭痛がします」と、
②「頭が痛む」とする場合、
ごく丁寧な説明がないならば、論理の基本SVCとSVOが、一生見えなくなってしまう可能性が御座います。SVC、SVOと云いながら、①「頭痛がします」の和訳に隠れてしまった1)I have a headache. の主語「 I 」は、一体全体、日本語のどこに消えて行ってしまったのでしょうか。さらに、「頭痛がします」のどこに、一体、SVO 構造の名残が在るのでしょうか?
単語数七万語を抱える母語と、せいぜい殆ど未消化の五千語程度、場合によっては数百語程度の英語の、どちらを使って脳が論理を構築するか、それは云うまでもないことでしょう。論理は記号によって構築されます。記号とは即ち母語あるいは母語に取り込まれた表象です。外国語学習において、母語干渉を断ち切ることは不可能でしょう。全く未消化のままの数百~千~二千程度の単語が精一杯の初学者には、特にその影響が顕著に現れます。私には、この国の英語音痴の多くは、母語構造に頓着せぬ教育が作り上げたものとの確信が御座います。特に初学者の指導に於いては、母語は有効に活用されねばなりません。
しかし、原因が分かれば方法は御座います。英語の放浪者・迷子を続ける社会人、会話の絆創膏で皮膚が真っ赤にただれる前に、BEWA 「大人の為のやり直し英語講座」 に御出で下さい。職場で用いるビジネス英語にキッチリ繋がるようにご指導申し上げます。講座見学一回無償。