2月10日(金)のブログ、板書シリーズの白板の下のほうに:
1) I believed the drug approvable.
2) I believed that the drug was approvable.
の英文が記述されています。??と思われた方もおいでになるでしょう。今日はこれについてごく軽くお話しようと思います。
1) I believed the drug approvable.
S V O C
①「私はその医薬品を(対格を表す「を」)承認可能と信じた」
2) I believed that the drug was approvable.
S V O
②「私はその医薬品が(主格を表す「が」)承認可能であることを信じた」
それぞれ、上記の如き和訳になります。1)も2)も結果として、承認不能であったことを含意していますが、1)に比べれば2)の方が、落胆が大きいようにも感じられます。一般的に云って、長い言語は、意味が重くなります。ブログにて、英文和訳文に現れる日本語の格助詞、主格を表す「が」と、対格を表す「を」等について、幾度となく取り上げて参りましたが、それは例えば:
1) I believed the drug approvable.
S V O C
①「私はその医薬品「を」承認可能と信じた」
2) I believed that the drug was approvable.
S V O
②「私はその医薬品「が」承認可能であることを信じた」
の場合のように、日本語訳に於ける「を」と「が」使用上の誤りが、SVOC文型とSVO文型の混同・取り違い、論理整合性に於ける重大な錯誤の原因となり得るからです。初学者にとって、この誤謬(日本語使用上の甘さ)を看過することは、その後の進歩の大きな妨げとなります。英語を苦手とする社会人とは、即ち 「初学者の領域に止まり続けている方達」 なのです。フロイトではありませんが、ご本人に原因を示し自ら矯正する必要があります。
論理は、人の脳内で集合、或いは、等式のような形で処理されているように思われます。思考を論理学的あるいは数学的に解析し切れない理由は、多分、人の脳内を縦横微塵に走り無数に張り巡らされた神経細胞から成る無数の回路が等価的に働きながら、そして、甚大な数の等式の解あるいは無数の集合の重なり合い・せめぎ合いを通して、人の思考が形成・構築されてゆくからなのではないでしょうか。
「を」・「が」等を取り違えると、当に思考の入り口で、構築すべき論理が破綻してしまうように思われます。ごく簡単に云えば、其処で論理(論理回路)が遮断され、フロイト流に言えばエゴに隠れたイド(潜在意識)、チョムスキー流に言えば深層構造、意識の現象学的に言えば 「知覚する私を反省する意識」 に甚大な破綻・欠落が生じ、思考の原資が損なわれてしまうように思われます。
ところで「英語を英語で考える」とか「英語を英語で理解する」とか、たまに聞きますが、これほど非論理的な言葉使いも凡そ考えられません。
論理学的に云えば:
SをSで理解する → 同語反復、命題が成立せず。
法律学的に云えば:
主体と客体が同じ → 債務関係を論じ得ない。
現象学的に云えば:
己と意識の対象を認め得ない → 認識不能。
街の豆腐屋さん的に言えば:
豆腐で豆腐を考える? 豆腐で豆腐を理解する?→?? →??? →+∞?
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